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「新潟市美術館:かびやクモ発生…何が起きていたのか」

ミュージアムに保管されているモノには、「保存と研究」という付加価値がつく。そして、そうした付加価値づくりは、さまざまな講座やワークショップ、展示室での交流などを通じて学芸員をはじめとするミュージアム・スタッフと市民がお互いにお互いを高め合いながら共におこなっていく。こうしたことがミュージアムの大きな存在意義のひとつです。

以下の新聞記事などは、現在の日本のミュージアムにおいて、そうした前提が崩れてきていることを示す良い例でしょう。アートディレクターを館長として迎え入れることによりイベントに力を入れるというのは、入館料収入や入館者数至上主義からの発想のような印象があります。一方で、学芸員を行政職に異動させるのは、公務員学芸員であれば時にいたしかたない側面があるにせよ、2年で4人中3人の学芸員を異動させるというのはちょっと異常なことです。これなどは、入館料収入や入館者数至上主義などのような官の民間化の逆を行く、極めて行政的な発想です。こうした矛盾した考え方は、実は新潟市美術館に限らずどこで見聞きしてもおかしくないものです。私の知り合いが所属する某県立博物館でも同様のことが行われており、職場は混乱し、市民は困惑しています。そろそろ、統一感と信頼感あるマネージメントに軌道修正する時が来ているのではないでしょうか。

ミュージアムにとって、入館料収入や入館者数は大切なことではありますが、こうしたことを考え過ぎると、ミュージアムをサービス業としてとらえる考え方に繋がってしまいます。「ミュージアム」と「市民」の関係を、テーマパークなどを含む「企業」と「客」の関係としてではなく、ミュージアム運営者も、市民も、(当然、行政も、)モラルと責任を問われるWeb2.0(ウィキペディアなど)のような相互性、多方向性を持つ関係として成熟させることが今のミュージアムに求められているのではないでしょうか。そして、このような関係性を担保するには、ミュージアム(学芸員やその他ミュージアム・スタッフ)と市民(ミュージアム利用者)の信頼関係の醸成が必要であり、それには一定程度以上の時間が必要です。それまでに構築されてきたミュージアムと市民の関係を2年で崩壊させるというのは、地域社会におけるミュージアムのあり方とその将来を考えると、致命的な打撃と言えます。

ミュージアムは、市民に対して「知識あるミュージアムが、無知な市民に対して教えるんだ」というような上から目線で接する意識を捨て、市民あってのミュージアムであるという意識を持つことが大切です。ただし、市民に対して客扱いや迎合などはしないこと。行政は、短期的な視点でミュージアム運営をとらえたり、数字のみでミュージアム運営を評価するようなことはしないこと。市民も、一部ではあるが時々いる当てずっぽうなクレーマーとしてではなく、覚悟と責任を持って自らの言葉で発言し行動するミュージアムのパートナーとなることが求められているのです。

*******以下、毎日新聞の記事*******

新潟市美術館:かびやクモ発生…何が起きていたのか

 かびやクモなどが展示室内で発生した新潟市美術館(同市中央区)は、今春予定していた中宮寺や法隆寺などが所蔵する国宝、重要文化財を展示する「奈良の古寺と仏像」の会場とすることを断念した。美術関係者が疑問視する「管理レベルの低下」の一因は、市美術館を巡る独断的な運営と人事とみる市民も少なくない。国内外から信頼を失った市美術館で何が起きていたのか。

 ◇生え抜き学芸員放出
 <ここ3、4年の一連の人事は異常である。開館25年目になるが、これまで学芸員を中心に、寝食も忘れて培ってきた館の品格と伝統を思うと、なんとも空(むな)しさを感じる>

 市美術館を支援する市民らでつくる市美術館協力会の会報「ななかまど」(09年5月号)。紙面には、協力会世話人代表が寄せた辛らつな市美術館批判が載っていた。

 一連の人事とは、北川フラム前館長(12日付で更迭)の就任した07年4月から2年間に、4人いたうち、生え抜きのベテラン学芸員3人が異動させられたことだ。現在、谷哲夫氏は西蒲区役所地域課、神田直子氏は職員健康管理課、木村一貫氏は市歴史博物館(出向)でそれぞれ働いている。

 アートディレクターとして知られる北川氏の招へいは、現代美術などを駆使したイベントによる地域活性化の手腕を評価した篠田昭市長の肝いりだった。北川氏は就任後、「外に開かれた美術館」を目指して、「水と土の芸術祭」など美術の枠を広げる企画・展示に着手した。

 一方、3人の学芸員には、作家や他の美術館と築いてきた信頼関係、自主企画展が国内外の美術関係者からも高い評価を得たという誇りがあった。定年が近い谷氏は仏像も扱える彫刻の専門家。常設展示室にあった3人が作った解説パネルは、3人目が異動した日に撤去されたままだ。

 「まさか全員を異動させるとは。作品の保存と研究という美術館の使命、存在意義を忘れている。(市長は)美術館を完全に壊すつもりか」。追われた一人は不信感をあらわにした。

 これに対し、篠田市長は反論する。「専門分野に限らず他の職場で行政事務を経験することで、職員の視野が広がり、さらに活躍の度合いが高まる」(新潟市美術館を考える会の質問状に)。北川氏も「どの美術館も事務職は2、3年で代わるのに学芸員は10年、20年の永久就職だから学芸員の王国になる。これまでの館長は名誉職で何も言わなかったが、篠田さんが強力な人間(私)を送り込んだ」と強調した。

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 建築家、前川國男氏が設計した市美術館は85年10月「市民の美術館」として開館した。78年夏、市立高校美術教諭だった市橋哲夫さん(75)は当時、美術館建設を切望する市民の声や運動の高まりに胸を躍らせた。「美術館建設に役立ててほしい」と、地元百貨店で開かれた地元画家らの作品展示即売会に、自らの作品を提供した。

 市美術協会は、こうした市民の声の受け皿となった。会長は美術館の運営方針を決める協議会委員として名を連ね、企画展の開場式には来賓として招かれるのが慣例になった。ところが、それも北川氏の就任後は事情が変わる。

 08年9月2日、企画展「浦潮(うらじお)とよばれた街」の開場式。伊藤栄一・市美術協会長(77)は来賓としてテープカットする心づもりだった。しかしリボンや席は用意されておらず、一般招待客扱い。「なめられたかな」。式典終了後、北川氏と名刺を交換したが、抗議の言葉はのみ込んだ。

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 北川館長体制のほころびは、09年夏、展示室でのかび発生という前代未聞の形で露呈する。版画家でコレクターとしても知られる木村希八さん(76)は、それを予感していた。信頼していた学芸員たちの異動を知り、その約3カ月前、寄託していた海外作家のコレクション52点を引き取った。「預けた作品がどうなるか不安だった。新しい学芸員とは引き継ぎをしなかった」

 ポスター配布や物品販売などのボランティアで市美術館を支援する市美術館協力会。300人を超えていた登録者数は09年度206人まで減った。解説ボランティアの主婦、木南恵子さん(61)はつぶやいた。

 「美術館は誰のものかしら。今は市民に愛される美術館でない気がする」。再生への道はまだ見えない。【立上修】

 ◇新潟市美術館のかびやクモなどの問題
 企画展示室内で09年7月、水と土、わらを使った土塀状の作品など2点にかびが発生。10年2月には燻蒸(くんじょう)せずに持ち込んだ「エコ電動カート」からクモや甲虫類が計34匹確認された。奈良・法隆寺などが所蔵する国宝や重要文化財の仏像15点の貸し出しに当たり、文化庁は東京文化財研究所(東文研)に市美術館の環境調査を依頼。東文研は「問題ない」との認識だったが、相次ぐトラブルに、文化庁は「管理・運営の体制に十分な信頼が得られない」として貸し出しを認めない方針を決めた。

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出典:
「新潟市美術館:かびやクモ発生…何が起きていたのか」、毎日jp(毎日新聞) [On-line]、Available at: http://mainichi.jp/enta/art/news/20100321k0000m040062000c.html、Last accessed 9th April 2010 (Updated: 2010年3月20日 21時36分)
by saotome_kenji | 2010-04-09 21:16 | 10.徒然日記
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